NEIL SWAINSONもうこのアルバムのフロントをとっている二人の奏者はこの世にいない。 ジョー・ヘンダ-ソンとウディー・ショウのふたり。 あれは1980年だったか、オーレックス・ジャズ・フェスティバルの第一回目が開催されたのは。 場所は大阪の万博お祭り広場。 今、箪笥の奥からその時、記念に買い求めたTシャツをひっぱりだしてきた。 表側に9/6がEXPO-PARKと印字されている。 杢グレー地のそのTシャツのバックにはミュージシャンの名前が載っている。 BENNY GOODMAN,TEDDY WILSON, EDDIE DURAN,BENNY CATER,HARRY `SWEETS`EDISON,MILT HINTON,SHELLY MANNE, HELEN HUMES,DIZZY GILLESPIE, ILLINOIS JAQUET,EDDIE`LOCKJAW`DAVIS,HAROLD LAND,CAL TJADER,CEDAR WALTON,EDDIE GOMEZ,FREDDIE HUBBARD,JOE HENDERSON,RANDY BRECKER,MICHAEL BRECKER,JOE FARRELL,ROBEN FORD,GEORGE DUKE,ALPHONSO JOHNSON,PETER ERSKINE PRODUCER:GEORGE WEIN 既に半数以上の人が故人・・・ 社会人になっていた先輩のH野さんとS田君、確か3人で見に行ったような気がする。なんかの理由で会場に遅れていった。入場ゲートで切符を切ってもらうのももどかしく足早に歩を進める。 会場に近づくにつれ、微かにテナーサックスのソロが聴こえてくる。 だんだんと大きく、明確に・・・メロディーの断片が聴き取れ、誰が取っているソロなのかが、同時に頭に浮かんだ。 ジョー・ヘンやぁ! 曲は「GOOD MORNING HEARTACKE」。 会場にはいると最後のメロディーを演奏しているヘンダ-ソンのプレイが目に飛び込んできた。 独特のポーズでテナーサックスを吹き切るジョー・ヘンダ-ソンの姿に言葉では説明できない程、「JAZZ」を感じたのはその時だった。 当時、ヘンダ-ソンは不遇の時代だった。80年代後半から死ぬまでのいい時代に比べたらMILESTONE後期は中途半端というか、今一歩レコード吹き込みに関しては、 精彩を欠いていた。 同期のウェイン・ショーターには大きく差をあけられ、先輩ソニー・ロリンズは絶好調、若手だったマイケル・ブレッカーは破竹の勢いでシーンに 受け入れられていった。 JAZZはレコードだけじゃわからないと直感的に理解したのはそのジョー・ヘンダ-ソンを聴いた時だったのだ。 この時に鮮明に記憶してるのはこれが一番で、あとはベニ-・グッドマンが出てきた時のスタンディング・オベイション、アルフォンソ・ジョンソンの鋼のようなスリムなボディで弾くベース・プレイ、フレディ・ハバードのオチァラケなどが印象に残っている。 ウディー・ショウは残念ながら生をみていない。 ただ、その頃はジョー・ヘンとは反対に大手CBSコロンビアレコードと契約し、力作を矢継ぎ早に発表していた。 広島にウィントン・マーサリスがクインテット編成で来た時のこと、曲間のアナウンスで偉大なトランペッタ-、ウディー・ショウがNYの地下鉄で事故にあいその為の手術費用の募金を呼びかけた。私のもとにも帽子が廻されてきた。 千円寄付をした。 それからしばらくしてからだった。 ウディーがなくなったと・・・ このアルバムは5曲目の「DON`T HURT YOURSELF」と6曲目の「HOMESTRECH」である。 「DON`T」ではライブできいた「GOODMORNING」を彷彿させるジョー・ヘンダ-ソンのバラード演奏が聴かれ、「HOMESTRECH」は文字通りオーレックスでも最後にJAMでやった曲。 テナー奏者だけでもジョー・ヘン、ジョー・ファレル、マイケル・ブレッカーのスリーテナーで16小節、8小節、4小節とソロの交換が次第にエキサイティングになっていき興奮したのを覚えている。 アルバムリーダーの二ール・スウェインソンはカナダ出身の優秀なベース奏者でジョージ・シアリングとのDUOで名をあげ、最近ではマシュマロレーベルからこれまたいぶし銀ピアノ、ジーン・ディノビのピアノトリオのベース奏者として堅実なサポートで近況がうかがえる。 リーダーのスウェインソンにはわるいが私にとってこのアルバムはジョーとウディー、 二人の素晴らしいプレイが聴ける、そしてあの頃会場で聴いた空気感を思い出させてくれる盤である。 ライブがはねた後、H野さん、S田君と3人で「JOKE」で珍しくサントリーホワイトをキープして遅くまで語ったのを覚えている。 ジャンル別一覧
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